いにしえの花天井

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未来へ、つなぐ

元々拝殿に置かれていた四十八枚の花天井絵は、その描かれた年代や作者、また奉納された経緯など何もわからない状態でした。

しかも、長い年月の経過によってそれら絵の傷みもかなり激しくなっていました。

ただ、この地域の四季折々の樹木や草花を生き生きと描いた素晴らしいものでしたので、どうしても後世に残していきたいと考えました。

今回の修復後には『いにしえの花天井絵』として拝殿の保存ケースに大切に保管されることになりました。

経緯

花天井修復保存事業開始

花天井プロジェクトの構想立案

修復のため花天井絵の取り外し

花天井プロジェクト完成記念奉納奉告祭ならびに除幕式典

修復された花天井画

  • うめ・紅梅

  • まつ

  • そてつ

  • おおたにわたり

  • くぬぎ

  • にしきぎ

  • すいせん

  • ぼたん

  • なんてん

  • つばき

  • はげいとう

  • りんどう

  • ぎぼうし

  • ざくろ

  • くさぼたん

  • きく

  • ごま

  • くり

  • へびいちご

  • おおいたび

  • じんちょうげ

  • とさかけいとう

  • はまなでしこ

  • ききょう

  • ぼんとくたで

  • のかんぞう

  • わた

  • せきちく

  • しゃくやく

  • あさがお

  • てっぽうゆり

  • ききょうらん

  • のうぜんかずら

  • のはなしょうぶ

  • びわ

  • むくげ

  • さくら

  • のじぎく

  • やまざくら

  • おおでまり

  • もくれん

  • くりんそう

  • たんぽぽ

  • げんげ

  • もみじ

  • やえつばき

  • うめ・白梅

  • たけ

未だ続く謎解き

令和四年夏頃、偶然にもある出会いがありました。

その先生は元・咲くやこの花館長でいらっしゃる久山敦先生で、植物の専門家です。

それまで、天井絵に関する名前の同定作業は遅々として進まず完全に行き詰まりを見せていましたが、先生との出会いでこの名前の同定作業が一気に進展し、完成に近づきました。

  • いわがらみ → おおでまり

    いわがらみは、アジサイ科のツル性植物のため当初はこれではないかとしました。しかしいわがらみの花はガクアジサイのような咲き方であるのに対して、セイヨウアジサイの装飾花の雰囲気を持つ花として、似たものの中で、今回はおおでまりと変更することにしました。

    おおでまりは、ヤブデマリの園芸品種で、4月頃にアジサイのような白い装飾花を多数咲かせ、庭木として有名です。

  • ぶっそうげ → とさかけいとう

    これは難問中の一つでした。当初は真ん中の花の雰囲気がハイビスカスに似たものではないかとしてその中でブッソウゲ(仏桑花)としました。しかしやはり花のつけ根辺り、葉を観察すると、トサカケイトウにより近いとして、変更することになりました。

    トサカケイトウは脳みそのような花が特長的で、漢字では『鶏冠鶏頭』と書き、その由来が見事に表現されています。

  • ふゆいちご → へびいちご

    当初は野イチゴの一つとしてツル性小低木のふゆいちごではないかとしましたが、葉の感じからへびいちごと変更しました。

    へびいちごは、人間は食べないことからへびいちごと名付けられましたが、実際には味がなくヘビも食べないらしいです。

  • めひしば → ぼんとくたで

    当初は、いわゆる雑草と言われるイネ科のメヒシバではないかとしていましたが、花や葉のつけ根がタデ科のヤナギタデかボントクタデではないかとなり、結局はその姿からボントクタデに軍配が上がりました。

    ボントクタデは、ヤナギタデのように辛味がないため愚か者との意味で名前がつきました。

    このタデは『蓼食う虫も好き好き』と人の好みは多様であることを表現されてきたのです。

  • かわらなでしこ → はまなでしこ

    これも難問中の一つでした。当初から花は明らかにナデシコ科の花なのに、葉がナデシコとしては違っているために、保留にしたいNo. 1でした。

    その中で、久山敦先生からも、花芽のつき方や葉のイメージからはカワラナデシコよりはハマナデシコにより近いとの判断で、このように変更されることになりました。

    ハマナデシコは、ナデシコ科ナデシコ属の一つで、この絵の中にあるセキチクにも近い花です。

    またナデシコはサッカー日本女子代表の愛称にも用いられ、我が国にも深い縁のある花になります。

花天井修復保存事業からいにしえの花天井に関わってくださった方々へ

今回の花天井の花の名前の再同定作業は、植物の専門家でいらっしゃる久山敦先生、更に絵師としてこれまで多くの花の絵を描いていらっしゃった絵師の大里宗之様、道子様など工房全体の知識を集大成しての作業となりました。

改めまして、心より感謝申し上げます。

その中で、私も何度も何度も繰り返し画像を見たり、色々な資料を調べたりする中で、とある感覚に気づかされたのです。

それは、多くの花木に対して非常に親近感を覚えて、それらを愛おしく感じるようになったのです。

もちろんこれまでも全く無関係ではいなかったはずですが、それでもこんなふうに繰り返し接することで、心の奥がとてもあたたかい気持ちになれたのです。

つまり、このような絵に接することでも、花木、植物、ひいては自然界に対しても、とても近しい気持ちになることができ、それは自分だけの一つの宝物になったというわけです。

とりわけ、私たち日本人は古来よりこのように、自然との心の触れ合いを大切にしてきたことで、こんなふうに神社にも花の絵を奉納するということが行われてきたのではないかと感じます。

当社には御神木としての大くすの木があり、また社紋としても梅にも由縁がございます。やはり御祭神に近しいものとして、この樹木や草花を大切に守り、未来へとつないで行きたいと考えます。

これまで、ご縁をいただきました諸先生方に、改めまして心よりの感謝を申し上げます。

阿保神社

宮司 山野美江

花天井絵の修復保存花天井絵の奉納

京都仏画研究所

代表絵師大里宗之様

絵師大里道子様

設計施工

所属先

設計施工上杉様

ゆかりの和歌の花天井の制作に関わってくださった方々へ

ゆかりの和歌の花天井の構想は、ある日突然私の目の前に舞い降りてきました。

その前月に上西義隆様との会話の中ではたくさんのご助言などがあったのですが、実はそこからが私の長い旅の始まりだったのです。

そもそも、ゆかりの和歌の花天井とは、御祭神である菅原道真公、氏神様である阿保親王様ゆかりの歌人である在原業平公の和歌十首に、私自身が今新たに新解釈を加えてそれを絵と書にするという超難題でありました。

その後たくさんの紆余曲折を経て、まずは花にまつわる御祭神のゆかりとしての和歌を探すことになったのです。

この花天井プロジェクトそのものが御祭神の『由縁』(ゆかり)をテーマとしていましたので、机上で書物を読み漁ったのは約五十冊以上、そして約半年の間に訪れた場所も約五十箇所程度にものぼり、近畿を中心として愛知県から福岡県に渡る西日本のたくさんの府県の神社仏閣、墓地、または山や野原、そして古民家、資料館を訪れまたのです。

その中でも、特に私の新解釈の力になったのは、松原市文化財保護審議委員会の会長兼、松原市観光協会の理事でいらっしゃる西田孝司先生と、松原市在住にて平安文学など古典を専門として地域の歴史や文化などにも大変お詳しい大野菜穂美様のお二人でした。

3人で時間の過ぎるのも忘れるくらいに語り合ったこともありました。またその都度メールなどを通してのやり取りもたくさんのヒント、そして時には私の心の支えになったのです。

そして、京都佛画研究所の代表絵師の大里宗之様、絵師の大里道子様は、ゆかりの和歌の花天井絵の制作において私の制作の意図を微に入り細に渡わたり吸い上げて、見事なまでの絵を描き上げてくださいました。

一千年以上の時代を経て有名な和歌に新たに新解釈を加えるというかなりの大胆なモチーフに対しても、私のこだわりや思いなどを書き記した十枚に及ぶレポートを真っ直ぐに汲み取ってくださいました。

そして、時に繊細にまたダイナミックに、美しくまた荘厳に描いてくださり阿保神社の拝殿によみがえることになったのです。

また更に、その絵に私が書をもって和歌を記すことになりましたため、その書の先生との出会いもまさに奇跡と言わざるを得ません。

息子の担任の先生であり、現代日本の書壇において著名な倉橋奇艸先生からのご紹介にて、群艸会の立山艸雪先生との出会いがありました。

ことに立山先生の書は、なめらかで優雅で美しくありつつも一度見ただけでも心を惹きつける強さや深さを兼ね備えていらっしゃいます。立山先生のように書きたい、書けるようなりたいと練習して臨んだのがあの拝殿の天井絵の和歌の書となります。

これら多くの方々のご協力やご支援などの集大成としてこのゆかりの和歌の花天井絵があるのです。

改めまして、上西義隆様をはじめとして、京都佛画研究所の大里宗之様、道子様、上杉社寺匠芸の職人の皆様また、いつも支えてくださる西田孝司先生、大野菜穂美様、また書の立山艸雪先生、その他大勢の皆様のお支えをいただき、ここに完成に至ったことに対して心よりの感謝を申し上げます。

そして、この和歌の新解釈に関しては、後々に何かわかりやすくまとめて発表したいと考えています。もうしばらくお時間をください。

氏神様でいらっしゃる阿保親王様の御意志と御事跡が、千二百年の時を経てこの令和の御代によみがえり、『思いやり(博愛)』と『知性』が、この世の未来を照らしていきますように祈念いたします。

令和六年十二月

阿保神社

宮司 山野美江